ツツジ(躑躅) ~五月と母~
- 2017/05/14(Sun) -
詩集「おかあさん」

母にとって私はどんな息子だったのだろう。

大学進学を機に故郷を離れ、それ以来遠くで暮らすようになった。
一番心配をさせた末っ子が、年に1度あるかないかの帰省では淋しかったのではないか。
母の誕生日には電話をかけるなど、何らかの形で心祝いを届けてはいたが。

見知らぬ地での生活の中で、母を慕い、母恋しの感情が湧きおこる事は、当然幾度となくあった。
そんな思慕の念からかその辺は自分でもよくわからないが、20年ほど前にサトウハチロウの「おかあさん」という詩集を買った。
全3巻、収められている220篇のすべてが「おかあさん(母、ママ、おふくろ)」の詩である。

4月の母の誕生日と5月の母の日、そして12月の母の命日に手に取ったりする。
中にいくつも付箋が付いているのは特に好きな詩である。

   五月と母

 かがやきを/さらに青葉にそえてゆく/五月の雨はうつくしと/つぶやきたまいし母なりき
 コバルトを/川の水面にときながす/五月の空はうつくしと/つぶやきたまいし母なりき
 やわらかに/夜のわが家をおとずれる/五月の風はうつくしと/つぶやきたまいし花なりき

   母を慕う

 母を慕う/わが心 すなおなり
 母にそむく/わが心 いがむなり
 ここふたつ/いつも母の姿につながり/からみあいて この年までつづきぬ
 あわれにて おかし

   この世でこよなく美しきもの

 この世でこよなく美しきもの/そは花なり そは花なり/この世でこよなく美しき心/そは母なり そは母なり
 花も母も 種となる実を愛す/こよなく愛す/かなしくも 愉しきかな

   おかあさんはわたしを生んだの

 おかあさんはわたしを生んだの
 それから/わたしをそだてたの
 それから/ わたしをたのしみにしていたの
 それから/私のために泣いたの
 それから/それからあとはいえないの

五月、私の生まれ月と母の日と咲く躑躅。

  母の日のてのひらの味塩むすび  (鷹羽狩行)

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アンズ(杏・apricot)  ~書き続けること~
- 2017/04/14(Fri) -
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いろいろをファイルにして取って置くことがある。
中に、清水良典の名の横に「文章」と書かれた9行のメモがある。
いつのものだったかは覚えていないが、多分この一年以内のものだろう。
コラムか随筆の一節ではないかと思われる。

清水良典 「文章」
 自分という人間を見つめ直し創り直すこと
 自分にしか書けないことを書く
 文章とは自分の心の中を発掘し、かたちにするもの
 書かれることによって初めて生まれる自己がある
 書くという行為が書く人自身をかたちづくっていく
 少しずつでも毎日書く
 書く日がないときは自分と心静かに向き合って、自分という人間の中身を発掘する時間が緩やかに流れていく
 発見するとき

氏は「文章を書くこと」の意味づけを、自身にとって「自己の創造」であり「自己を発掘し」「発見するとき」であるとする。
そしてそれは「人格形成行為そのもの」であり、毎日書き続けることを課す。
共感する。

書くという行為は、己の内奥にある様々な理知と感情と意識を、あらためて整理し咀嚼して文字言葉として表出させる。
私も「書き続ける」ことを実践し、それによってさらに自分を知り、見つめ、磨き、成長させたい。

ところで、染井吉野の太い二つの根元に挟まれるようにして一本の細い木が伸びている。
だいぶ前からあるのだが、こうした状態からいつまで経っても太くはなれないようだ。
それが薄桃の色の花を咲かせるようになってから3年目になる。
花は全体でも20輪にも満たない。
自然に出てきたものなので、最初は何の木かわからなかったが、この時期に咲くことと花の特徴から“杏”ではないかと思う。
実が付いたことがないので断じることはできないが、多分そうだろう。
今年辺り、朱色の実が現れるのではないかと密かに楽しみにしている。
こうして囲まれて窮屈なままでいいのか可愛そうな気もするが、でも木はきっと私たちが考えるよりもずっと強いのだ。
 
  細枝にぽつりぽつりの花杏 (あや)

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ユキワリソウ(雪割草)  ~剪定すること~
- 2017/03/14(Tue) -
ピンク八重雪割草

3本の梨を剪定した。
林檎を剪定した。
次郎柿と富有柿も剪定した。

薔薇は少し前に済ませた。

残す枝と剪る枝を見極める。
実りを良くするために。
花を多く美しく咲かせるために。
木を丈夫にするために。

伸びた枝を剪りながら少しの罪悪感。
でも思い切りよくするのがいい。

自分という木にあるたくさんの生活の徒長枝や過去という絡み合った枝もこうして選り分けてさっぱり剪定するといいのだ。
人生をすっきりとそして豊かにするために。

  さよならは三月の水の色で風に透く   (鶴田育久)
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速水御舟 ~すべては中道にてと~
- 2017/02/14(Tue) -
速水御舟の言葉

テレビの中に速水御舟がいた。
画面に流れる彼の言葉。

  絵画修行の道程に於て私が一番恐れることは型が出来ると云ふことである
  何故ならば型ができたといふ事は一種の行詰まりを意味するからである

  芸術は常により深く進展して行かなければならない。
  だからその中道にできた型はどんどん破壊して行かねばならない

  梯子の頂上に登る勇気は貴い
  さらにそこから降りて来て再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い
  大抵は一度登ればそれで安心してしまふ ここで腰を据えてしまふ者が多い
  登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である

多くの場合、苦労の上で手に入れた一つのスタイルができあがるとそれを大事に押し進めたくなる。
しかしそれでは表現者(人間)としての己の進歩は無く、むしろ閉ざされてしまうのだと、それを洟をかむように捨てる人がいる。
過去の評価や栄光はどうでも良いと、現状を破壊し安定と訣別する勇気。
只ひたすら未見の己を追い求め、新機軸に向かう。
そういう強い信念のもとで描き続けてきたからこそ、短い40年の生涯の中で後世に残る作品を表すことができた御舟。

時に自分を省みさせ、戒めてくれる人や言葉との出会い。
心眼と手技で表現を紡いできた人の言葉は、研ぎ澄まれた感性とともに生きてきただけに、またそれも一流である。

本棚から彼の『絵画の真生命』を取り出し、あらためて読み直す。

   バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ  (上田日差子)

速水御舟鍋島の皿に石榴          鍋島の皿に石榴(部分)大正10年

速水御舟『絵画の真生命』より

絵画の真生命
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ホトケノザ(仏の座・三階草) ~苦しみが私を救う~
- 2017/01/14(Sat) -
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古いノートの中に青山俊董師の言葉が記されてある。
見れば2002年(平成14年)10月15日の日付。
あの時あの頃に書いたものかと思い起こされる。
師の講演会に出掛けた折の記録だ。

懐かしさとともにあらためて背骨を伸ばされる思いがする。

【苦しみが私を救う】
 苦の自覚、すなわち苦に導かれて、求めようとする姿が立ち上がるのでありそこにアンテナが立ち、求道心が生まれる。
 苦しみのおかげで、行き詰まるおかげで人は立ち止まることができる。
 そこにこれで良かったであろうかと、自分の生き方に対して反省をするもう一人の自分が誕生する。
 苦によってもう一人の私が誕生し、求道心が目覚め、教えに出会うことができて、人生を深めたかめてゆくことができる。

【道は知と不知とに属さず(道元の言葉-道無窮)】
  修行とは深まることに自らの足らざるに気づくことである故、修行には卒業はないのである。

あれから幾星霜を経てもなお、弱さと恥じを帯同させている私。
凜として厳しくそして歯切れ良く諭される師の声が耳に入ってくるようだ。

苦しみを育ての泉とありがたく思え。
見つけよ必ずやあるその道を。
歳の時々とともに学びは深まる。
続けてただひたすら学を修めよ。

私にだけ許されたたった一度だけの時と生。
今一度心に刻み行べきを確かめた一月の日。

土手に愛らしい仏の座を見つける。

  娘らの円舞のごとき仏の座   (あや)

ホトケノザ172

ホトケノザ173
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キイジョウロウホトトギス(冬の紀伊上臈杜鵑草) ~花は枯れても美しさは変わらないものです~
- 2016/12/14(Wed) -
キイジョウロウホトトギスの黄葉1

画家安野光雅さんの短いエッセイを読んでいた。
今から24年前、平成4年に刊行された本の中にあった文章である。
その中の一節が心に残った。 

 たいせつなのは、花は、きれいに咲いているものだけが花ではない。
 (中略)
 花は散ってしまってもいい。
 決して美しさは変わらないんです。
 “きれいさ”は変わるけれど、“美しさ”は変わらない。
 “きれい”というのは、模様などのように、艶やかで、非常にインパクト.が強いものをいいますが、“美しい”というのとは 違う。
 花は全部散ってしまって、しお枯れても、草が枯れ果ててしまっても、“美しい”と感動する。

たとえばそれは人にも通じて言えることなのではないか。
若くて容姿がきれいな人でもいつかは、見える形で経年による変化や老いが顕在化していく。
しかし、にじみ出る美しさというのはその人とともにずっとその人の姿に寄り添っているものではないか。
言葉遣い、心遣い、慈しみ、優しさ、そして仕草などという心の美しさも合わせて。
私の知る白髪のご婦人に、車椅子の女性にそんな美しい方がおられる。
慎ましい中に気品を感じさせる素敵な男性がおられる。
穏やかなお顔の中にやわらかな輝きが放たれていたりと、そんな方々が。

“きれいさ”は変わるけれど、“美しさ”は変わらない。

なかった肌に皺がいつのまにか現れ、増え、深くなる。
その顔に刻まれた皺さえ美しいと思われるような内面を持った歩みをしたいものだと思う。

  枯といふこのあたたかき色に坐す  (木内彰志)

キイジョウロウホトトギスの黄葉3

キイジョウロウホトトギスの黄葉2

キイジョウロウホトトギスの黄葉4
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ミヤマカイドウ(深山海棠の実) ~焦らず信じて一つ事を~
- 2016/11/14(Mon) -
ミヤマカイドウの実163

生きておれば、人と共にあれば、暮らしておれば。

思いがけずに生じる新たなベクトルによって、自分の描く行く先と違う道に進むこともある。
それは悲しい事なのか喜ぶことなのか。
しかしその力学による出来事が結果としてはどうであったかは時を経て、自分の過去という形でしか評価できないものだろう。
たとえそのことが今は言葉に吐き出すことのできない苦悶の出来事だったとしても。

長い花柄の先に小さくて赤い実。
可愛い林檎に似るそれは深山海棠の実。
一つもぎって口に含む。
甘味もなく旨味もない。

「同じ言葉を繰り返す」のも多くなった。
焦らず信じて一つ事を足を地に着けて歩む。

   行く程のうちにも秋の深まるか (佐藤漾人)

ミヤマカイドウの実162

ミヤマカイドウの実161

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ニガウリ(苦瓜・蔓茘枝・ゴーヤ) ~人と違うことが自分を育てる~
- 2016/10/14(Fri) -
苦瓜の片付け1

苦瓜を片付けた。
ツルの中に小さめのがいくつかあった。
これが今年最後の収穫と、少しの愛おしさも感じつつ、籠に入れた。
夏の体にだいぶの滋養となりありがたい野菜であった。

ところで私の早朝の作業にはラジオは欠かせない。
それはイヤホンを通して私の知らない様々な言葉を教えてくれる。
そして貧しい脳に新たな知識と生きる知恵を注ぎ、ものに感じ、ことを考え、行動する世界を広げてくれる。

近くは、かの「人と違うことをやるという信念」という大隅さんの言葉。

翻って「楽」という椅子についつい背もたれして腰掛けたくなる自分がいる。

人と同じことをしていては人と同じ場所にしか行けないし、人と同じ高さにしか上れない。
質量においてより多くをこなし、より深いものを追い求めることで、人と違う世界が見える位置に自分を置くことができる。
「生きる」を満たすには、その時々を創造する力を自分に持つことが大切だろう。
「しようと思う」でなく、「こうする」という意思をもって動く自分になる。
続ける力を持つ自分を育てる。

苦瓜は来年もきっと作る。

   いつしかに割けて風生む蔓茘枝  (中村奈美子)

苦瓜の片付け2

苦瓜の片付け3
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リュウキュウアサガオ(琉球朝顔・クリスタルブルー) ~心を磨けば運命は変えられる~
- 2016/09/14(Wed) -
リュウキュウアサガオ134

稲盛和夫氏の講演抄を読んでいた。
一節を引く。

 私は生まれてから大学卒業まで鹿児島で過ごした、 どこにでもいそうな普通の青年だった。
 その私が京セラやKDDIをここまで大きな企業に育てることができたのだ。
 人生とは波瀾万丈で厳しいものだが、どのように生きていけば幸せになれるのか話してみたい。

 中国に袁了凡という少年がいた。
 ある日のこと白髪の老人が訪ねてきて「私は易学を極めたものだが、この少年は役人になり、若くして地方長官に命じられ
 るが、 子どもも出来ずに53歳でなくなる」と予言した。
 その後彼の人生は全て老人の言った通りにとおりになっていく。
 年を重ねたある時、彼は高名な雲谷禅師という老師を訪ねた。
 老師は彼の話を聞いて「運命は変えることができる」と言い、善きことをすれば善い結果が生まれ、悪いことをすれば悪い結
 果が生まれるという「因果応報の法則」を説いたのである。
 袁了凡はその話に感銘を受け、善いことを重ねるように努めたところ、子どもにも恵まれ、73歳まで生き長らえた。

 さて、「善いこと」とはなんだろうか。
 人間には煩悩があり、、その中でも特に強いものは欲、怒り、愚痴である。
 これらを抑えることで美しい心、思いやる心が芽生え、善いことが出来るようになると私は思う。
 人のため世のために善いことをし、心を磨くことで、美しい魂を作ることができるのだ。 
 田舎育ちで、平均以下だった私が、大きな仕事が出来るようになったのは、世の中のことを思って誰にも負けない努力をした
 からだ。

 人生には思い悩むことや苦行がたくさんある。
 しかし、心の持ち方一つで人生は楽園にもなる。

人は日常の小さな積み重ねの因果応報の法則によって人生を歩んでいると。
善行や努力が人を大きくそして美しく育てるのだと。
なるほど、運命というの一部はどうやら自らが行った行為の作り出した結果である。
人間関係も自らの言動が生み出す好悪の感情やことに対する取り組みの評価によるものであったりする。

囁かれる「あの人は…」の言葉。

あんなことそんなことこんなことをしてきての今の自分。
少しでもいい。
これから先、いっそうの心磨きをせねばと思う。

琉球朝顔が咲いている。
昼も咲く朝顔である。

   身を裂いて咲く朝顔のありにけり  (能村登四郎)

リュウキュウアサガオ136
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ペチュニア(Petunia) ~「日にち薬」と「よみ薬」~
- 2016/08/14(Sun) -
ペチュニア161

「日にち薬」について、ひろさちやさんは著の中で次のように効能を述べている。
 悩みや苦しみ、病気になったとき、「いくら焦っても治りはしない、そのかわり時間がたてば自然に治るから安心しろ」。
 それが、物事を忘れさせ、癒してくれる「日にち薬」。
 人生には、様々な苦しみ、悩み、悲しみがある。
 「日にち薬」によってしか、癒されない苦悩や悲しみがある。
 時に壁に当たったり落ち込んだりしたときには「日にち薬」を愛用しよう。
なるほど、説くように物事には時が解決してくれることが多いのも事実。
焦らずにあるがままに生きようと彼は言う。
人間は多かれすくなかれ、病人だということを根底に持っていると気が楽だとも。

「外用薬・よみ薬」はある女性の実体験の話。
  人間関係で悩み、すっかり心が弱って涙にくれていたとき、友人がそっと薬袋を置いていった。
 「外用薬・よみ薬」とある。
 効能書き「気の病、悩み事、ゆううつ時」とあり、赤ペンで「飲んではいけません」の注意書き「?」
 中を見ると動物たちのユーモア写真集。
 ユーモアに託した心遣いが嬉しくて、また泣いてしまった。
 でもよく効いた。
ペンと友情で調合された手作りの「よみ薬」は、気の病のもやもや感や鬱屈した心情を取り払う効果を持っている。

身の回りにそんな「こころ薬」を出してくれる存在がいると嬉しいものだ。

ペチュニアが咲いている。
考えてみれば花も人の心をi癒やす薬のようでもある。

   日盛りと静けさと相似たるもの (前田野生子)

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ペチュニア163
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