バラ(赤薔薇) ~「塞翁が馬」と「おかげさま」の気持ちを忘れずに…~
- 2017/08/14(Mon) -
赤薔薇171

およそ一月前、たまたまネットに掲載されていた新聞の随筆が目に留まった。(毎日新聞 「走り続けて」2017年7月16日)
心に残る言葉と内容が綴られる。
筆者は山中伸弥教授。
原文の要旨を崩さないように、自分のために整理して記録する。

教授は初めて勤めた病院で厳格な指導医に激しい叱責を受け、自信を喪失する。
しかし、その苦しい経験が「臨床医ではなく研究者を目指す」という新しい道に導いてくれたと言う。
指導医に繰り返し言われた「考えてばかりいないで、手を動かせ!」という教えは、研究をする上でのモットーとなったとも語る。

実験では、自分の予想通りの結果にならないことが多く、落ち込んだりした。
逆に、思い通りの実験結果に有頂天になったものの、間違いに気づいて奈落の底に落ちたような気分にも。
時には、予想とは違う結果が大発見につながることもあり、失敗と思った実験が、その後の研究に役立つこともあったと。
iPS細胞の開発の過程でも、失敗に思えた実験から成功につなげることができたと記す。

そして次のように述べて締める。

このような経験から、私は物事が順調に進んでいるときは「悪いことの始まりではないか」と用心し、思うように進まないときや好ましくない出来事が起きたときは「これがどんな良いことにつながるのだろう」と考えるように心がけています。
ジャンプするとき、低くかがむほど高く跳べます。
人生も同じだと思います。
もう一つ心がけていることは「良いことはおかげさま。悪いことは身から出たさび」です。
良い成果は、多くの人の協力があって初めて出すことができます。
「おかげさま」は私が大好きな日本語の一つです。
片や、悪いことが起きると他の人のせいにしたくなってしまいますが、原因は必ず自分の中にあります。
iPS細胞の研究開発でもいろいろなことが起きます。
「塞翁が馬」と「おかげさま」の気持ちを忘れずに一歩一歩前進していきたいと思います。

思い出したのは「失敗は成功の基」のことわざ。
まだ様々な場面や生活の中でいくつもの失敗を重ねている自分、それをよりよい形に活かせる発想力や転換力を身につけなければと思う。
教授の“「塞翁が馬」と「おかげさま」の気持ちを忘れずに”の言葉を心に刻みたい。
そして指導医の「考えてばかりいないで、手を動かせ!」という厳しい言葉も実践に。

  薔薇剪るや深きところに鋏入れ  (島谷征良)

赤薔薇172
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ナデシコ(撫子) ~日々「わかされ」に立つ~
- 2017/07/14(Fri) -
撫子371

中学の国語の教科書に「わかされ」という随筆が載っていた。
今でも頭にあるというのはよほど心に残る印象深い言葉だったのだろう。
「わかされ」とは分岐、分かれ道という意味だったと記憶している。

 我々は何かをしようとする時、考えられる選択肢の中から一つを選ぶことでそれが個の今日となる。
多様な場の一瞬一瞬をAかBか、あるいは右か左かを決定し、知らず知らずのうちに自分を育てその人生を創っている。
そしてその時々における小さな選択行為の積み重ねが、いつの間にかその人の人格形成に繋がっている。
無意識であれ、怠けるのも楽をするのも、それは取捨の思考が働きの結果である。
選ぶということはまた、選ばなかった他のすべてをあきらめることでもある。

考えれば私達の日常は毎日が「わかされ」に立っているようなものと言える。
だからこそ“清く正しく美しく”と思うのだが…。
頭では分かっている。

   撫子やそのかしこきに美しき   (広瀬惟然)
  
撫子372
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キハギ(木萩) ~下手な物知りにならない~
- 2017/06/14(Wed) -
木萩172

-こんな年寄りにならないように-とのタイトルは養老孟司さんの著「養老訓」の中にある。
5つの章からなり、“下手な物知りにならない”はその一つ。
部分を引用する。

 晩年の加藤シズエさんと話したら、
 「ラジオで『年寄りの生き方は日に一度感動しようとすることだ』という話を聞いて感動した」
 と言っていました。

 毎日毎日、新しい経験をしているからこそ感動できるのです。
 それはまた感覚で細かい差を捉えられるかどうかにかかっています。
 感性があるかどうかの問題です。

 感動する対象はそんなに珍しいものでなくてもいいのです。
 山の杉林も毎日見ていれば少しずつ色が変わる。それが分かる。
 私はそれを見ていて驚いたり、感動したりしています。
 一日飽きません。

 自然には、新しい発見が無限にあります。
 とにかくいつも発見があるのです。
 「えー?」「こんなことがあるのか!」と。これほどいいことはありません。

 ちょっと何かに関心をもって、細かい所を見るようになれば人生や世界は面白くて仕方の無いところです。
 
 年寄りは特にそういうことをしたほうがいいのです。

「知っている」「分かっている」といって、過去の経験だけで物事を見ない。
急速に進化するこのご時世にあって、過去の知識だけで世情や事象を判断しない。
新たに聞いて感じて知る喜び、見て確かめて分かる喜びが年老いたときこそ求められるということだろう。
考えれば、人はいつでも未来人なのだ。
歳に関係なく今日はいつも新しく、そして今日と違う明日が誰にもあるのだから。

私も小さな草にも、小さな虫にも、その形や匂い動きなどに目を向け、小さな発見を心がけたい。
そして雨や風や水の音にも耳を傾け、その感触を肌で感じながら。

  六月の万年筆のにほひかな  (千葉皓史)

木萩173

木萩171
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ツツジ(躑躅) ~五月と母~
- 2017/05/14(Sun) -
詩集「おかあさん」

母にとって私はどんな息子だったのだろう。

大学進学を機に故郷を離れ、それ以来遠くで暮らすようになった。
一番心配をさせた末っ子が、年に1度あるかないかの帰省では淋しかったのではないか。
母の誕生日には電話をかけるなど、何らかの形で心祝いを届けてはいたが。

見知らぬ地での生活の中で、母を慕い、母恋しの感情が湧きおこる事は、当然幾度となくあった。
そんな思慕の念からかその辺は自分でもよくわからないが、20年ほど前にサトウハチロウの「おかあさん」という詩集を買った。
全3巻、収められている220篇のすべてが「おかあさん(母、ママ、おふくろ)」の詩である。

4月の母の誕生日と5月の母の日、そして12月の母の命日に手に取ったりする。
中にいくつも付箋が付いているのは特に好きな詩である。

   五月と母

 かがやきを/さらに青葉にそえてゆく/五月の雨はうつくしと/つぶやきたまいし母なりき
 コバルトを/川の水面にときながす/五月の空はうつくしと/つぶやきたまいし母なりき
 やわらかに/夜のわが家をおとずれる/五月の風はうつくしと/つぶやきたまいし花なりき

   母を慕う

 母を慕う/わが心 すなおなり
 母にそむく/わが心 いがむなり
 ここふたつ/いつも母の姿につながり/からみあいて この年までつづきぬ
 あわれにて おかし

   この世でこよなく美しきもの

 この世でこよなく美しきもの/そは花なり そは花なり/この世でこよなく美しき心/そは母なり そは母なり
 花も母も 種となる実を愛す/こよなく愛す/かなしくも 愉しきかな

   おかあさんはわたしを生んだの

 おかあさんはわたしを生んだの
 それから/わたしをそだてたの
 それから/ わたしをたのしみにしていたの
 それから/私のために泣いたの
 それから/それからあとはいえないの

五月、私の生まれ月と母の日と咲く躑躅。

  母の日のてのひらの味塩むすび  (鷹羽狩行)

紫躑躅171

紫躑躅172

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アンズ(杏・apricot)  ~書き続けること~
- 2017/04/14(Fri) -
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いろいろをファイルにして取って置くことがある。
中に、清水良典の名の横に「文章」と書かれた9行のメモがある。
いつのものだったかは覚えていないが、多分この一年以内のものだろう。
コラムか随筆の一節ではないかと思われる。

清水良典 「文章」
 自分という人間を見つめ直し創り直すこと
 自分にしか書けないことを書く
 文章とは自分の心の中を発掘し、かたちにするもの
 書かれることによって初めて生まれる自己がある
 書くという行為が書く人自身をかたちづくっていく
 少しずつでも毎日書く
 書く日がないときは自分と心静かに向き合って、自分という人間の中身を発掘する時間が緩やかに流れていく
 発見するとき

氏は「文章を書くこと」の意味づけを、自身にとって「自己の創造」であり「自己を発掘し」「発見するとき」であるとする。
そしてそれは「人格形成行為そのもの」であり、毎日書き続けることを課す。
共感する。

書くという行為は、己の内奥にある様々な理知と感情と意識を、あらためて整理し咀嚼して文字言葉として表出させる。
私も「書き続ける」ことを実践し、それによってさらに自分を知り、見つめ、磨き、成長させたい。

ところで、染井吉野の太い二つの根元に挟まれるようにして一本の細い木が伸びている。
だいぶ前からあるのだが、こうした状態からいつまで経っても太くはなれないようだ。
それが薄桃の色の花を咲かせるようになってから3年目になる。
花は全体でも20輪にも満たない。
自然に出てきたものなので、最初は何の木かわからなかったが、この時期に咲くことと花の特徴から“杏”ではないかと思う。
実が付いたことがないので断じることはできないが、多分そうだろう。
今年辺り、朱色の実が現れるのではないかと密かに楽しみにしている。
こうして囲まれて窮屈なままでいいのか可愛そうな気もするが、でも木はきっと私たちが考えるよりもずっと強いのだ。
 
  細枝にぽつりぽつりの花杏 (あや)

アンズ174132

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ユキワリソウ(雪割草)  ~剪定すること~
- 2017/03/14(Tue) -
ピンク八重雪割草

3本の梨を剪定した。
林檎を剪定した。
次郎柿と富有柿も剪定した。

薔薇は少し前に済ませた。

残す枝と剪る枝を見極める。
実りを良くするために。
花を多く美しく咲かせるために。
木を丈夫にするために。

伸びた枝を剪りながら少しの罪悪感。
でも思い切りよくするのがいい。

自分という木にあるたくさんの生活の徒長枝や過去という絡み合った枝もこうして選り分けてさっぱり剪定するといいのだ。
人生をすっきりとそして豊かにするために。

  さよならは三月の水の色で風に透く   (鶴田育久)
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速水御舟 ~すべては中道にてと~
- 2017/02/14(Tue) -
速水御舟の言葉

テレビの中に速水御舟がいた。
画面に流れる彼の言葉。

  絵画修行の道程に於て私が一番恐れることは型が出来ると云ふことである
  何故ならば型ができたといふ事は一種の行詰まりを意味するからである

  芸術は常により深く進展して行かなければならない。
  だからその中道にできた型はどんどん破壊して行かねばならない

  梯子の頂上に登る勇気は貴い
  さらにそこから降りて来て再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い
  大抵は一度登ればそれで安心してしまふ ここで腰を据えてしまふ者が多い
  登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である

多くの場合、苦労の上で手に入れた一つのスタイルができあがるとそれを大事に押し進めたくなる。
しかしそれでは表現者(人間)としての己の進歩は無く、むしろ閉ざされてしまうのだと、それを洟をかむように捨てる人がいる。
過去の評価や栄光はどうでも良いと、現状を破壊し安定と訣別する勇気。
只ひたすら未見の己を追い求め、新機軸に向かう。
そういう強い信念のもとで描き続けてきたからこそ、短い40年の生涯の中で後世に残る作品を表すことができた御舟。

時に自分を省みさせ、戒めてくれる人や言葉との出会い。
心眼と手技で表現を紡いできた人の言葉は、研ぎ澄まれた感性とともに生きてきただけに、またそれも一流である。

本棚から彼の『絵画の真生命』を取り出し、あらためて読み直す。

   バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ  (上田日差子)

速水御舟鍋島の皿に石榴          鍋島の皿に石榴(部分)大正10年

速水御舟『絵画の真生命』より

絵画の真生命
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ホトケノザ(仏の座・三階草) ~苦しみが私を救う~
- 2017/01/14(Sat) -
ホトケノザ171

古いノートの中に青山俊董師の言葉が記されてある。
見れば2002年(平成14年)10月15日の日付。
あの時あの頃に書いたものかと思い起こされる。
師の講演会に出掛けた折の記録だ。

懐かしさとともにあらためて背骨を伸ばされる思いがする。

【苦しみが私を救う】
 苦の自覚、すなわち苦に導かれて、求めようとする姿が立ち上がるのでありそこにアンテナが立ち、求道心が生まれる。
 苦しみのおかげで、行き詰まるおかげで人は立ち止まることができる。
 そこにこれで良かったであろうかと、自分の生き方に対して反省をするもう一人の自分が誕生する。
 苦によってもう一人の私が誕生し、求道心が目覚め、教えに出会うことができて、人生を深めたかめてゆくことができる。

【道は知と不知とに属さず(道元の言葉-道無窮)】
  修行とは深まることに自らの足らざるに気づくことである故、修行には卒業はないのである。

あれから幾星霜を経てもなお、弱さと恥じを帯同させている私。
凜として厳しくそして歯切れ良く諭される師の声が耳に入ってくるようだ。

苦しみを育ての泉とありがたく思え。
見つけよ必ずやあるその道を。
歳の時々とともに学びは深まる。
続けてただひたすら学を修めよ。

私にだけ許されたたった一度だけの時と生。
今一度心に刻み行べきを確かめた一月の日。

土手に愛らしい仏の座を見つける。

  娘らの円舞のごとき仏の座   (あや)

ホトケノザ172

ホトケノザ173
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キイジョウロウホトトギス(冬の紀伊上臈杜鵑草) ~花は枯れても美しさは変わらないものです~
- 2016/12/14(Wed) -
キイジョウロウホトトギスの黄葉1

画家安野光雅さんの短いエッセイを読んでいた。
今から24年前、平成4年に刊行された本の中にあった文章である。
その中の一節が心に残った。 

 たいせつなのは、花は、きれいに咲いているものだけが花ではない。
 (中略)
 花は散ってしまってもいい。
 決して美しさは変わらないんです。
 “きれいさ”は変わるけれど、“美しさ”は変わらない。
 “きれい”というのは、模様などのように、艶やかで、非常にインパクト.が強いものをいいますが、“美しい”というのとは 違う。
 花は全部散ってしまって、しお枯れても、草が枯れ果ててしまっても、“美しい”と感動する。

たとえばそれは人にも通じて言えることなのではないか。
若くて容姿がきれいな人でもいつかは、見える形で経年による変化や老いが顕在化していく。
しかし、にじみ出る美しさというのはその人とともにずっとその人の姿に寄り添っているものではないか。
言葉遣い、心遣い、慈しみ、優しさ、そして仕草などという心の美しさも合わせて。
私の知る白髪のご婦人に、車椅子の女性にそんな美しい方がおられる。
慎ましい中に気品を感じさせる素敵な男性がおられる。
穏やかなお顔の中にやわらかな輝きが放たれていたりと、そんな方々が。

“きれいさ”は変わるけれど、“美しさ”は変わらない。

なかった肌に皺がいつのまにか現れ、増え、深くなる。
その顔に刻まれた皺さえ美しいと思われるような内面を持った歩みをしたいものだと思う。

  枯といふこのあたたかき色に坐す  (木内彰志)

キイジョウロウホトトギスの黄葉3

キイジョウロウホトトギスの黄葉2

キイジョウロウホトトギスの黄葉4
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ミヤマカイドウ(深山海棠の実) ~焦らず信じて一つ事を~
- 2016/11/14(Mon) -
ミヤマカイドウの実163

生きておれば、人と共にあれば、暮らしておれば。

思いがけずに生じる新たなベクトルによって、自分の描く行く先と違う道に進むこともある。
それは悲しい事なのか喜ぶことなのか。
しかしその力学による出来事が結果としてはどうであったかは時を経て、自分の過去という形でしか評価できないものだろう。
たとえそのことが今は言葉に吐き出すことのできない苦悶の出来事だったとしても。

長い花柄の先に小さくて赤い実。
可愛い林檎に似るそれは深山海棠の実。
一つもぎって口に含む。
甘味もなく旨味もない。

「同じ言葉を繰り返す」のも多くなった。
焦らず信じて一つ事を足を地に着けて歩む。

   行く程のうちにも秋の深まるか (佐藤漾人)

ミヤマカイドウの実162

ミヤマカイドウの実161

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